解釈問題
コペンハーゲン解釈、多世界解釈、パイロット解釈。
量子力学について、色々な解釈を述べてきたが、はたして、どれが正しいのだろう?
ホントウのことを言えば、どれも正しくない。
今まで、さんざん、観測してない1個の電子が、
「
複数の位置に同時に存在している。2つのスリットを同時に通り抜けた」
とか言ってきたが、それだって、ホントウは、
嘘っぱちである。
どういうことだろうか?
まずそもそも、今まで紹介してきた話は、すべて「
○○解釈」であることに注目して欲しい。
「コペンハーゲン
理論」「パイロット
理論」ではなく、
「コペンハーゲン
解釈」「パイロット
解釈」と呼ばれていることに注意して欲しい。
なぜ、これらは「理論」ではなく、「解釈」と呼ばれているのか?
量子力学をきちんと理解するためには、このへんの事情をよく知っておく必要がある。
●古い時代における科学観
そもそも、古くから物理学では、ある「現象」に対して、それを説明できる「正しい理論」というのは「
ひとつだけである」と考えられてきた。
たとえば、
「ボールが落下するという現象」をきちんと説明できる「正しい理論」は、「ニュートンの重力理論」だけである、という具合にだ。
だから、もし、「新しい物理現象X」が見つかって、その現象Xを説明できる「理論A」 「理論B」があったとすれば、古い時代の科学者たちは、
「
2つの理論のうち、正しいのはひとつだけであり、すくなくとも、どっちか一方の理論は間違っている」
と考えてきた。
「異なる理論が、2つとも正しいということはありえない。
真実は、常にひとつ!
たとえ今は、どちらが正しいのか判断できなくても、
実験や観察により検証を進めていけば、
間違った理論は、必ず破綻して、
最後に正しい理論だけが残る!」
古い時代の人たちは、とても素朴で楽天的だった。
人間は、一生懸命、努力して、研究を積み重ねていけば、いつかは必ず、
「
正しい理論(真実)」
〜
この世界で起きている現象をすべて説明できる たったひとつの正しい考え方〜
に到達できると信じていた。
そして、この信念に基づき、古くから人々は、
「
オレの考えが正しくて、オマエの考えは間違っている」
と「
たったひとつの真実」をめぐって、論争を繰り広げてきた。
だが、科学の分野が、量子力学などの
ミクロの物質を研究対象とし始めたとき、この信念は、もろくも崩れ去ってしまうのである。
●ミクロの世界は、観測して確かめることはできない
まず、「電子」や「原子」や「分子」などのミクロの物質は、僕らが日常的にイメージするような、「
コロコロ転がるボール」ではないのは、
2重スリット実験から明らかである。「コロコロ転がるボール」だと考えてしまっては、
実験結果とツジツマが合わないからだ。
そこで、そのツジツマを合わせるため、なんらかの
新しい仮定(多世界とか、パイロット波とか)を追加して、新しい理論を作るわけである。
だが、困ったことに、どんな理論を作ろうが、結局のところ、量子という「
目に見えない小さなミクロの世界の現象」についての話なのだから、その理論が「
ホントウに正しいかどうか?」を「
直接見て確かめる」というわけにはいかない。
それに、そもそも、2重スリット実験の場合は、
「
観測してないとき、電子はどうなっているか?」ということが問題になっているのだから、「
観測していないときの電子の状態」を説明する理論を「
観測して確かめる」ことなんかできるわけがない。(笑)
結局、「見えないモノ」または 「見ていないときのモノ」については、何を言おうと、
「
たぶん、きっと、おそらく、こうなっているんじゃないの? ホントウのところは、知らないけどさ」
ということしか言えないのだ。
じゃあ、「
観測して確かめる」という直接的な方法が使えないんだったら、「
理論としてツジツマがあっているか」ということで、「
その理論が正しいかどうか」を判断すれば良いだろうか?
いやいや、それではダメである。困ったことに、「
その現象の説明として、ツジツマの合う理論はひとつだけではない」のだ。
たとえば、コペンハーゲン解釈、多世界解釈、パイロット解釈。
どれもすべて、ツジツマは合っている。
というより、「
ツジツマが合うように考え出された仮説(物語)」なのだから、ツジツマがあうのは当然である。
「
多世界があると仮定する多世界解釈」がツジツマが合うのは当然であるし、「
パイロット波があると仮定するパイロット解釈」がツジツマが合うのは当然である。
もともと、どの解釈もツジツマを合わせて作っているんだから、「
ツジツマが合うかどうか?理論として矛盾がないかどうか?」を基準にして、「
どれが正しいのか」を判断することはできない。
さぁ、困ったことになってきた。
一体、どうやって、どの理論が正しいかを判断すれば良いのか?
結論を言えば、
そんなの無理である。
「
理論としてツジツマが合っているかどうかは基準にならない」のだから、どんなに議論を重ねたって無駄だし、「
観測して確かめられない」のだから、どんなに実験をやっても無駄である。
結局のところ、どんなにがんばろうが、「
確かめようがないものは、確かめようがない」のである。
つまるところ、コペンハーゲン解釈とは、
「
電子は、『ホントウは』可能性として、多重に存在していて、2つのスリットを同時に通ったのさ。
そう考えれば、ツジツマがあうよ。
あ、その可能性って、観測できないけどな(笑)」
といっているだけあり、
パイロット解釈とは、
「
電子は、『ホントウは』パイロット波を出して、その波に乗るように進むのさ。
そう考えれば、ツジツマがあうよ。
あ、そのパイロット波って、観測できないけどな(笑)」
といっているだけである。
だったら、もうなんだっていいじゃないか!
「
電子は、『ホントウは』小人さんが、動かしていて、
だからあんなふうに干渉縞ができるのさ。
そう考えれば、ツジツマがあうよ。
あ、その小人さんって観測できないけどな(笑)」
これだって、十分にツジツマがあった仮説と言える。
こんなタワゴトのような仮説でも、「
ぶっちゃけ ありえな〜い」と否定することは、原理的に不可能である。だって、「見えない」のだから、その「
ありえな〜い」ってことが「観測できない」のだ。
それに……。
もしかしたら!もしかしたら!
「ホントウに」小人さんがやっているかもしれないじゃないか!
ありえない なんて、どうしていえるんだろう?
厳密なことを言えば、そんなヨタ話だって、決して「
ありえないとは言い切れない」のである。
つまるところ、ワレワレは「
観測できないこと」について何も言うことはできない。観測できないことについて、「
ホントウはどうなっているか?」なんて
語りだしたらきりがない。もし、あなたが想像豊かなら、いくらでもツジツマの合った新しい「
解釈(物語)」を作り出すことができるだろう。
結局のところ、上の図に示すように、
ある「現象」に対して、それを説明できる「解釈」は、いくらでも作り出すことができ、どれが正しいか知る術は存在しない。
これが、量子力学以降の科学の状況である。
だから、もし、量子力学をきちんと理解している科学者に、「
コペンハーゲン解釈、パイロット解釈、どれが正しいの?」と聞けば、こう答えるだろう。
「
そんなの解釈の問題だ。科学の範疇ではない」
実際のところ、『観測によって知りえないこと』について、どれが正しいとも、どれが間違っているとも言う権利は、誰にもない。
「観測しえないこと」「見えないもの」について、ワレワレが語るのは、あくまでも「
こういう風に考えることもできるよね」という解釈である。その「解釈」について、「
正しいだの間違っているだのと議論する」のは、
個人の趣味の問題であって、科学の範疇ではないのだ。
それでは、なぜ、現代科学が、コペンハーゲン解釈を「
標準解釈」として選んでいるのか?
それは、たくさんの解釈のなかで、
「
もっともシンプルでわかりやすい便利な数式」
として表現できる解釈だったからである。
だから、決して科学は、「
コペンハーゲン解釈が説明するとおりに、現実もホントウにそうなっている」とは述べていないことに注意して欲しい。
「
観測していない電子が多重に存在する」というのは、「
あくまで解釈」であり、科学者たちは、人に説明するときに「
便利」なので、「
1個の電子が同時にスリットを通ったよ」と表現しているだけである。
だから、「
ホントウにそうなの?」と科学者に問いかけたところで、彼らは「
そんなのしらないよ」と苦笑いしながら肩をすくめるだけである。
だって、その「ホントウのこと」は、調べようがないのだから……。
●量子力学以後の科学観
つまるところ、『
科学的に観測できない現象』については、科学は何も言うことはできない。
また、ミクロの世界では、人間の直感的な常識が通じないことが起きているのだから、『
科学的に観測できない現象』について、既存の理論から合理的に推測して、「
こうなっているに決まってるだろう!」と断言することもできない。
だから、せいぜい、科学者が言えることは、『
今のところ、予測精度ナンバーワンなのは、この数式です』という端的な実験的事実だけある。
現代において、科学とは「
技術的に応用可能な理論(数式)を提供する道具体系」であり、科学ができることは、
「
実験結果となるべくぴったり合う ツジツマのあった理論体系(数式)を提供すること」
だけなのだ。
それ以上のこと……、つまり、
「
観測できないけど、ホントウはこうなっているんじゃないの?」
ということについては、すべて確かめようのない『
解釈問題』として、科学は、一線を引くことになった。
だから……、
「
この世界は、ホントウはどうなっているの!?世界は、いったい、どのような仕組みで成り立っているの?」
という、古来から科学が追い求めてきた
「世界のホントウの姿を解き明かす」という探求の旅は、科学史のうえでは、
すでに終わっているのである。
科学は、世界について、ホントウのことを知ることはできない。
「
ホントウのことがわからない」のだから、科学は、「
より便利なものを」という基準で理論を選ぶしかないのだ。
量子力学が、科学に与えた革命的な影響……。
それは、人類の科学観を
「
真理探求の学問」から「
道具主義的な学問」へと転換させてしまったことである。
「
そんなことより、どうすんだよ!!
とっくに、1999年過ぎたけど、何もおきないぞ!!」
「
そうだ、そうだ!予言はどうなったんだ!」
「
宇宙人襲来も、
ハルマゲドンも、ポールシフトも、
隕石衝突も、人類滅亡も、
なにひとつ起きていないじゃないか!」
「
おい!キバヤシ!なんとかいえよ!」
「
う・・・・