随伴現象説
「
なぜ、物質(脳細胞)が集まると、そこにクオリアが発生するのか?」
ワレワレは、それについて、合理的な説明ができない。
とはいえ、「
脳とクオリアの関係」について、脳科学の分野から、さまざまな実験結果が提示されているのだから、少なくとも、
「
脳(物理条件A)がある → クオリア(現象B)が発生する」
という関係性は認めざるを得ないだろう。
(脳の特定の部分を壊すと、特定のクオリアが消えるのだから)
その関係性を図に書くとこんな感じになる。
ここで、左側(脳)は、
原子・分子などでできた物質の世界であり、物理的な法則に支配された「
物理学で取り扱える領域」である。
一方、右側(クオリア)は、
意識、主観的体験、ココロなどといった非物質的な世界であり、今のところ、「
現代の物理学では、まったく取り扱っていない、取り扱えるかどうかもわからない領域」である。
ここで、ひとつ疑問がある。
脳(左側)がある状態になり、あるクオリア(右側)が発生したとする。このとき、発生したクオリアが、
脳に対して何らかの物理的な影響を与えることがあるのだろうか?
もっと、具体的に言えば、クオリアという存在が、脳という機械の状態を変えることがあるのだろうか?
もっともっと、具体的に言えば、クオリアという存在が、「
脳細胞の原子・分子に、物理的な作用を与えて、その動作を変えたりする」ようなことがあるのだろうか?
図で言えば、こんな感じで、つまり、
「←向きの矢印」が存在するか?
という疑問である。
なぜ、こんなことが疑問になるかと言うと、もし、クオリアが、「脳という機械」に、
何も影響を与えていないとしてしまうと、
クオリアなんぞあってもなくても、脳の動きは何も変わらないのだから、クオリアとは、単に、脳の動きに付随して『
発生しているだけ』の
無用の長物であり、
別になくても良かった、
という結論になるからだ。
それは、ようするに、
「
じゃあ、そんな何の役にも立たないクオリアが、そもそも、いったいなぜ存在しているんだよ!?」
という疑問につながり、少し不自然なように思える。
では、逆に、
クオリアが「脳という機械」に何か影響を与えている、と考えるとどうだろうか?
それは、はっきりいって、
一般的で常識的な科学に反することになる。
物理学(科学)にとって、脳とは、「
原子・分子などの物質」と「
4つの力による相互作用」で構成された物理的な機械にすぎないのだから、
脳の状態の変化は、物理学の世界だけで説明可能であるはずだ。
そこに、クオリアという「
非物質的な、不可思議な何か」が、「
物質に物理的な作用を与えて、脳の状態を変えた」という想定を持ち込むとしたら、
それは、
「
人間のイシキ、ココロ、クオリアという非物質的な何かによって、物理学的にまっすぐ転がるはずのボール(原子)が曲がることがある」
と言っているようなもので、科学者にとっては、超能力やテレキネシスを認めるようなものである。
正統な科学の立場からすれば、脳という物理装置は、物質で出来ている以上、
脳の状態が変わる要因となるものは、物理学で定義する「
4つの力」のどれかでしかありえない。
もし、そこに、
クオリアという未知の何かが、物質の状態を変化させるという想定を認めるとすると、それは、現在の物理学で定義されていない「
未知の物理現象」ということになり、物理学は、新たに「
第5の力」を定義することになってしまうだろう。
それはようするに、
「
非物質的な何かによって、物質が作用する」
という超能力的なものを認める、ということに他ならない。
そんなものを、科学が、わざわざ積極的に認める必要はないのだから、「クオリアが物質に作用した」という具体的な証拠がないかぎり、とりあえず、科学としては、
「
クオリアは、物質に何も影響を与えません」
という立場をとることは、理性的で妥当なことである。
したがって、一般的な物理主義の科学者たちは、クオリアについて、
「
クオリアは、脳の状態に付随して発生しているだけで、クオリアが脳の状態に作用を及ぼすことはない」
「
物質が一方的にクオリアなるものを発生させているだけで、発生したクオリアが、物質側の動きに影響を与えることはありません」
という立場をとっている。
この立場の考え方を
随伴現象説と呼ぶ。
もちろん、「
クオリアは、物質に対して、なんの物理的作用も及ぼしません」としてしまうと、「
じゃあ、クオリアは無用の長物になってしまうよ!それっておかしくない!?」という例の疑問が持ち上がるわけだが、そんなものは、
「
別に、クオリアが無用の長物で、役立たずでもいいでしょ。たまたま宇宙が、そういうふうにできていたというだけじゃないの?」
と言ってしまえば、済む問題である。
少なくとも、オカルト的な「
第5の力」を持ち出すよりは、よっぽどマシだろう。
そういう事情から、物理主義の科学者たちが、クオリアについて「
随伴現象説」という立場をとることは、とても妥当なことのように思える。
「イシキやクオリアなどの非物質的な存在が、物質に物理作用を与えるなんて、具体的な証拠でもないかぎり、認められないに決まってるだろ!
なに!?じゃあ、クオリアは何のためにあるんだって!?何のためでもねえよ!クオリアなんか、いらないんだよ!必要ないんだよ!なくてもよかったんだよ!ただ宇宙はそうなっていたというだけの話さ!」
随伴現象説……。
それは、科学者たちが、クオリアに突きつけた
絶縁状である。
――ワレワレが、クオリアを『理解』できる日は来るのだろうか